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つれづれ書評「負債論 貨幣と暴力の5000年」

「負債論 貨幣と暴力の5000年」デヴィット・グレーバー著、770ページ、6480円。「負債論が高すぎて買えない!」という声も多数。

 

 「自分が歴史の真っただ中にいる」というのを自覚するのは難しいけど、資本主義が瀬戸際に来ているらしいこと、資本主義を維持するためには、破たんしてでも戦争ビジネスを加速させるしかないと富裕層と権力者が思っているということ、我が国の首相は、破たんに向かう暴走列車(資本主義)に石炭をせっせとつぎ込むことしか考えてない、ということが何となく分かってきて、じゃあ普通の市民はどう生きればいいのかな、と思っていたところで、この「負債論 貨幣と暴力の5000年」を見つけました。

 

 資本論は人を支配する側のお話だけど、負債論は支配される側から見上げた金融の歴史のお話で、これこそ私が読むべき本だな!と思ったのでした。しかも5000年の歴史が書いてあるので、今という時代が歴史の中でどんな位置にいるのかも、見渡すことができるかもしれないし。


 この本を書いたのは経済学者ではなく、人類学者です。経済学では、実際の取引の発展の歴史を無視して架空の前提(「取引は等価交換から始まった」)の上に理論を作ったところがあるそうで、「古代」の章では地方部族のフィールド研究などをもとに、真実の取引の文化を解き明かしていきます。それが痛快で新鮮なのと、古代の取引のありようは日本の儀礼文化に似ていて、良くも悪くも「なるほど〜」と思ったのでした。


 この本の命題は、「負債は本当に返すべき義務があるのか」です。生まれた時から親の負債を負わされている子、知識のなさに付け込まれて負債を負わされる社会弱者、価値あるモノとして家から家へ取引され、男の所有物として従属しなければいならない女性、戦争に負けたという理由で奴隷労働を義務付けられる捕虜など。負債を返さなければいけないと義理堅く思う人ほど、どんどん負債を大きくしていく。


 もちろん返すべき負債もあるのですが、支配する側から一方的に押し付けられ、負債だと思い込んでいるものもあるのではないか、という考え方は、結構しがらみだらけの生活を整理するときに役立つな、と思いました。


 古代では貸し借りをすることが人間関係をつなぐ(支配する)行為として発展していったそうなので、貸し借りの多さとしがらみの多さが関係しているのは当然なんだな、と思ったり。

 

 いま負債をもっている人すべてが、自分の負債の本質に気づくために、この本を読んだらよいと思います。人はどんな人も生きる権利があるので、その権利を奪われるほどの債務を負わされるのは人権侵害で不当なことだ、という基本的なルールをしっかり守って(守らせて)いれば、貸し借りの問題が行き過ぎて人を殺したり奴隷状態になることはかなり防げそうだ、というのが私なりの理解でした。


 ちなみに、重い負債の行きつく先は、自分の体を奴隷として売ること(他人の所有物となり、所有者が自由に働かせ、凌辱し、殺してもよい存在となること)のようです。日本の憲法第18条では「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と定めていますが、自民党の憲法改正案では削除されています。古来、奴隷となる典型的な人は戦争で負けた捕虜や、犯罪者、女性、子供です。このことの意味を考えてみるいい機会にもなるかもしれません。