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17日、ヘイトスピーチを監視しませんか(岡山)



各地でヘイトスピーチ(差別扇動表現)をしている人々によるデモと街頭宣伝が4月17日、岡山市街地でも行われます。岡山県民のよっしーという人が主催者です。彼が岡山県内で主催するデモは2014年以来2回目です。

在日外国人、生活保護者などを排除しろと煽(あお)ることで自分の存在意義を確認する人たち。彼らは、自分たちを「行動する保守」と呼んでいます。ネット上でつながっている集団なので「ネット右翼」と呼ぶ人もいます。全国に類似の団体があり、各地のデモへお互いが遠征することで、デモでは数人から数十人規模の団体を形成します。岡山デモにも県内外の保守グループが遠路はるばる集合すると聞いています。

私は仕事上多くの外国籍の人と接しながら生活しているので、暴力的なヘイトスピーチの吐かれている場面や、それに怒りを感じながらも怖くて反対できず、深く絶望する少数派の人たちに会ってきました。なので、今回は普段から国際交流活動をしている知人と連絡を取り合い、十数人で会議を開き、このデモを監視・抗議(カウンター)するイベントを呼び掛けることにしました。

ヘイトスピーチをする人は、自分の主張が正しければ人を傷つけても仕方がない、と思っています。人を傷つける快感を得るために自分の主張を正当化している人もいるでしょう。そんな思考回路で頭を正当防衛している人は、見知らぬ他人が何を言っても、なかなか心まで響かないと思います。本当は、身近な親や兄弟、友達、妻や夫、上司や同僚が「人を傷つけることをしてはいけない」と言わなければいけないのだと思います。でも、そういう人が身近にいないことも現代社会には多いです。そんなとき、どうすればいいんでしょうか。

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人の中には抑えがたい暴力性と、それを刺激してやまない孤独や虚しさがあると思います。人は集団の中で生きることになったそのときから、自分の暴力性や孤独で他人を傷つけないよう、衝動を自己処理していくことが大きな課題になります。自分や身近な人だけではそれが抑えきれない、というときは、さらにその周りがいくらか協力する責任があるんじゃないか、と私は思います。

なぜこんな話をするかというと、デモ主催者の直接の知人から聞き取りなどをする中で、彼の普段の姿を少し知ったからです。

攻撃を受けている外国籍やマイノリティーの人に、デモ主催者の強く深い「業」を受け止めろと言っても、それは酷な話です。だからこそこのデモは、彼らのヘイトスピーチを聞いても精神的被害を受けにくい人間が参加し、対峙(たいじ)しなければいけないと思っています。

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一人でも多くの県民の方に、このデモの監視に来てほしいと思っています。世の中には、醜いと思っていても受け止めなけばいけないものがあります。それは同じ社会で生きている結果として出てきているものだから。私も(デモが中止にならない限りは)当日参加して、監視行動をする予定です。みなさんももし予定が合えば、ぜひ参加してください。立っているだけでもよいです。
 
私たちが生み出している社会の暴力性を、その場で一緒に受け止めてみましょう。

ヘイトスピーチを監視しよう・おかやま(4月17日)告知ページ
https://www.facebook.com/events/484441081756953/

【注意】デモは予告なく中止されることがあります。デモ中止の告知はこちらで行われると思いますので、ご確認ください。
http://ameblo.jp/yosshiejapan/